私は50代で全ての仕事を辞め、1年2か月のカナダ留学に行きました。
カナダ留学から帰国した後、本格的に「定年のない仕事」を模索し始めました。
この記事では、私の仕事にまつわるリアルな出来事をまとめます。
50代から女性が定年のない仕事で働くには?
女性が働き続けるって
私は長いこと公務員として働いていたんだよね。
別に最初から公務員を目指していたわけじゃゼンゼンなかったんだけど、たまたまそういう流れになっちゃった。
働いてみたら、公務員って男女同一賃金だし、年休も取りやすい場合が多いし、福利厚生も悪くないしで待遇的にそんなに不満はなかったんだよね。
まぁ今思い返すと、「あれはパワハラだったよね」とか「あんなセクハラがなぜまかりとおっていたのか⁈」とか、女性としていろいろ思うところはあるんだけど、当時はそこまでの認識はなかったし、受け流して過ごせちゃっていたんだよね。
だからそんなにイヤなこともなかったという認識でずっとそのまま働き続けていたら、長くなっちゃったってだけのことなのね。
それに、女性が一人で生きていこうってなったら、絶対に安定した収入源が必要でしょ。
その条件を満たす働き先が、私の場合たまたま公務員だったってことなんだよね。
でも、私はこの仕事にやりがいは求めてなかった。
収入を得るための一番効率的な手段だと思ってた。特に「女性」がね。
だから昇任試験の類はほぼ受けずに過ごしたよね。
もちろん、職員として自分の仕事は絶対にしっかりやるよ。
でもそれ以上の責任とか調整とかで自分の時間や気持ちを仕事に持っていかれたくないと、強く思ってたんだよね。
”仕事にやりがいを求めてない”っていうのはそういうことで、仕事に時間と体力を食い尽くされることが本当にイヤだった。
私は自分の時間と体力を、自分が本当にやりたいと思えることに振り向けたいってずっと思ってたんだよね。
ふと考える時が来る
「仕事=効率のいい収入源」とだけ思っていたからなのか、「もっと他にやりたいことがある」と感じていたからなのかはわかんないけど、ある時ふと
って思ったんだよね。
これが40代前半の出来事だったんだけどね。
この時は仕事がきつかったのは確かだけど、別に「辞めたい」とかこれっぽっちも思っていなかったのに、「10年以内に辞める」ってなぜか確信したの。
不思議だよね。
で、時間がかかったけど、そこから8年後に50代で本当に公務員を辞めることになるんだよね。
50代で辞めざるを得ない状況になる
何十年もずっと安定して収入を得ていた仕事を自分から辞めるって、思っている以上に相当勇気がいる。
想像してみてほしい。
この世の中、女性が50代で仕事辞めて、その後どうやって食べていくんだろう…?って。
そんなこと考えたら、恐ろしくて恐ろしくてとてもじゃないけど仕事なんて辞められない。
そりゃそうだよね。
私は独身だから誰かに養ってもらうわけにもいかないし、50代で今さら親や兄弟に迷惑かけるわけにもいかないと思うし。
収入がなくなるってことがこんなにも怖くて、それが人の判断を狂わせることになってるだなんて、この時まで考えたこともなかったよね。
だから、「あと10年以内に辞める」って確信はしたものの、実際にはそれを行動に起こすことはしないまま時間が経って行ったんだよね。
でもある時、とうとう起きることが起きた。
仕事のストレスが原因でうつ病の初期症状が出て、突然仕事に行けなくなっちゃったんだよね。
健康だけが取り柄みたいな自分が、まさか精神的にやられるなんて、それまで想像したことすらなかった。
でも、眠れない、咳が出続けて食事もできない、体重が減っていく…っていう今まで経験したことがないおかしなことが続いて…。
ある日突然、仕事中にもうそこにいること自体が耐えられなくなって、いきなり荷物を抱えて家に帰ってきちゃったんだよね。
多分職場の人はきっと「え?どうしたの?」って思ったと思う。
その後、職場の保健師さんから”心療内科”っていうこれまで無縁だったクリニックを紹介されて、そこでうつ病の初期症状だって診断された。
仕事が原因で自分がぶっ壊れたことが衝撃過ぎて、とてつもなく悲しくなった。
そして3か月休職することになり、その後復職するためのリハビリ期間を経て職場復帰。
その後すぐに部署異動をして1年間勤めた段階で退職したの。
あの時休職したことで、健康を犠牲にしてまで働かなくちゃいけないこの働き方って、いったい何なんだろう?って気がついちゃったんだよね。
そして、1度気がついたらもう考えないわけにはいかなくなった。
いくらお金が稼げたとしても、自分が擦り減っちゃうような働き方はこれ以上はできなかったんだよね。
私の50代は、いきなり「退職」から始まったんだよ…。
50代で仕事を辞める恐怖
休職から職場に復帰して、そのあと部署異動した先でいよいよ「退職」の意思表示をしなきゃいけなくなった時、私は50代で仕事を辞めるってことがこんなにも自分にとって恐怖なのかと実感した出来事があったんだよね。
毎年年末ぐらいになると、人事課から「異動希望調書」っていう用紙が個人個人に配られて、そこに次年度どうしたいか?っていうことを記入するんだけどね。
そこに「退職」っていう選択肢があって、そこに✅を入れれば退職の意思表示ができるのね。
だけど私、怖くて怖くてこの✅を入れられなくて。
毎日毎日書こうとするんだけど書けなくて書けなくて、とうとう提出締め切り日になっちゃったの。
その日、職場の壁際にある共有端末のところに行って、仕事をしているふりをしながら✅を書き入れようとしたんだけど…。
なんと、ペンを握った右手がガタガタ震えて、✅が書けないの。
ホントにマンガみたいに手がガタガタ震えてるんだよ。
たった1文字✅を入れるだけなのに、手が震えちゃって書けない。
そんな自分を見て、気持ちはもう泣きそう。
自分がこんなにも退職することを恐れているんだって思ったら、なんだか退職が間違った選択な気がしてきて、やっぱり退職するのをやめようかとも思った。
でも、3か月休職して、仕事のリハビリして復職したあの経験があったから、「ここで働くのはもう終わりにしよう」って考えることが、最終的にはできたんだよね。
左手で震える右手をギュッと押さえて、なんとか「✅退職」って記入したのよ。
そしたらなんかものすごく悪いことしたみたいな気持ちになってまた泣きそうになり、すぐに用紙を提出したのを覚えてる。
休職と復職の経験がなかったら、恐ろしすぎて50代で退職なんてできなかったかもしれないよね。
早期退職し定年のない仕事のリアル
自分ビジネスへの方向転換
50代の最初に公務員を退職してからは、自分ビジネスで稼ぐことをとにかく考えてた。
とにかくどうやって稼ぐのかってことしか考えられなかったんだよね。
でももう組織に属することはしばらくしたくなかった。
だから自力でどうやったら稼げるのかってことを試行錯誤し続けていたの。
自分でビジネスを興せば、それこそ50代から「定年のない仕事」として自分らしく働けるんじゃないかって漠然と思ってたよね。
女性だとなおさら、自分らしく働けるってことに憧れるよね。
そして1年ぐらいの準備期間を経て、私は「コーチング」を提供する「コーチ」として起業したんだよね。
主にスポーツの場面で、コーチングスキルを使ってアスリートを支援する「アスリートコーチ」として50代で自分ビジネスを始めたの。
これこそ「定年のない仕事だぜ」って思った。
ところがここでも私はなぜか自分を擦り減らすような仕事の仕方をしちゃって、その割にはお金も稼げなくて、やればやるほどじり貧状態に…。
もう踏んだり蹴ったりの状況になっちゃったのね。
私は、コーチング自体スキルとして素晴らしいと思えるんだけど、クライアントさんとコーチングセッションをするのが、だんだんと苦痛になってきちゃってたんだよね。
今思えば、とにかく「私がなんとかしてあげなくちゃ」って思い過ぎてたと思う。
これって一見クライアントさん想いに聞こえるけど、実は自分の心配をしてただけでさ。
この人が良い方向に変わってくれなきゃ、私が評価されない。そしたら私はお金をもらえない。
って、心の奥で思ってたから、何が何でもいい方向に行ってもらわなくちゃ困るって思ってコーチングセッションやってたんだよね。
別に私がなんとかしなくたって、クライアントさん自身に良くなっていく力があるのにね。
そこを信じてあげられないコーチなんてさ、誰にも望まれていないよね。
こんな調子だったから、どんどん自分が苦しくなっちゃって、力尽きて廃業。
「定年のない仕事」は、いったいどこへ…。
コーチングスキル自体は私の中に残ってて今も活用してるけど、私の場合この時これでお金を稼ぐことはできなかったんだよね。
情報は人を介してやってくる
起業に失敗してから先は、友だちからの誘いで仕事を紹介してもらってた。
結局また人に雇われる形態に逆戻りしちゃってたんだけど、1度起業して失敗を経験したからどうしてもそうなっちゃうよね。
背に腹は代えられない。
50代で「自分ビジネス」だの「定年のない仕事」だのそんなこと、言ってられなかったんだよね。
それに、雇われて毎月お給料が振り込まれることの安心感よ。
お金が減っていく恐怖から解放されたくて、自然と雇われて働く形に戻っちゃってたんだよね。
って思うけど、そうなっちゃってたね、現実は。
「お金」って何なんだろうね。
で、ありがたいことに、いつも友だちから仕事の話をいただけていた。
私に仕事の話を持ってきてくれる友だちはいつも女性で、バリバリ仕事してるかっこいい人ばっかりなんだよね。
そしてそれも、公務員を長いことやっていたことが実績と認められての紹介だったから、
って思ったよ。
友だちから紹介される仕事は「定年のない仕事」ではなかったけど、50代にして自分で探せる範囲をはるかに超えたところで仕事ができたことはすごく良かったなって思ってるし、友だちに感謝だよね。
カナダ留学に行く
でもいよいよ自分の中でつじつまが合わなくなってきたのが、この「留学」ってやつね。
大学出て働き始めたときからずーーーーーーーーっと海外で生活がしてみたいって思い続けてきたから、それを実現させないことにはどうにもこうにもつじつまが合わなくなってきたの。
これだけ「海外で生活してみたい」って気持ちがあるのに、それを無視し続けているってどういうことなんだろう?って思って、自分の中ですごく不自然に感じたんだよね。
自分がそんなに長いことやりたいと思い続けてきたことを、もういい加減無視できない状況になってきちゃった。
だから、カナダ留学に行ったよ。1年2か月。
とか言われたけど、そこはもうもはやお金の問題ではなかったんだよね。
お金がかかったとしても、どうしてもやってみたい事だった。
で、行ってみてよかったよ。
それはもう言葉では言い尽くせないくらい、いろんな体験をした。
そして、1年2か月カナダに行ったことで、その先が少しずつ開けてきたんだよね。
バビコと直接話しませんか?
私はいままた2度目のカナダ留学に行こうと準備をしているところなんだけどね。
こうして日本とカナダを行き来する生活自体が仕事になっていったらいいな~って思うようになってきたんだよね。
別に何かこれといって目算があるわけではないよ。
ただ漠然となんだけど、自分がやってみたいことにフォーカスした方が、いろんなことが開けてくる感覚があるんだよね。
だから、もう1度カナダに行きたいって思ったら、それをやってみることにいま注力してる。
留学もさ、2度目となると最初とはまたちょっと雰囲気が変わるしね。
そして実は、1年2か月のカナダ留学の体験や、2度目のカナダ留学のことなんかを、”知りたい””聞きたい”っていう人に向けてお話しすることを始めたんだよね。
ZOOMで直接対面で話す中で、留学エージェントに聞きづらいこととか、50代女性シニア留学のぶっちゃけ話とかができる場になるといいなと思って。
詳しいことは、下のバナーからご案内ページに飛んで、内容を見てみてね。
おわりに
いかがでしたか?ここまでお読みいただきありがとうございました。
50代女性って、ぶっちゃけいろんなことが起きるじゃない?
仕事がらみのことだって多いよね。
定年のない仕事を自分で作れたらいいな~って思うことも、女性にはごくごく自然だと思うんだよね。
だからその流れで私も現在「定年のない仕事」を模索中だよ。